話す人たち
- 映画監督
園子温さん - 俳優
染谷 将太さん
- 女優
池田 エライザさん - 女優
真野 恵里菜さん
2013年にテレビドラマで大ヒットを記録した園子温監督作品「みんな!エスパーだよ!」が、2015年、映画化された。
舞台は園監督の出身地、愛知県東三河地方。海、山に囲まれた穏やかな地方でありながら、ここで繰り広げられたのは、ちょっとエッチで放送コードぎりぎりの表現の数々。
園監督は地元で何を表現したかったのか、そして、ドラマの頃から主演を務める染谷将太、真野恵里菜、さらに、映画版からの新メンバー池田エライザはロケ地となった豊橋市、豊川市にどのようなイメージを持ち、魅力を感じたのか。2015年8月4日、撮影の多くを行った豊橋公会堂。ここでの試写会を前に4人を迎え、撮影当時を思い出しながら語ってもらった。
地域まるごと撮影現場。どんなハチャメチャも受け入れてくれた。
ー撮影の“拠点”ともいえる豊橋公会堂に戻って、試写会に臨むお気持ちはいかがですか?
園監督: 僕自身は豊橋ふるさと大使、豊川広報大使でもあって、地元で上映ができて本当に喜ばしいと感じていますね。特に豊川の街並みは少年時代を送った頃とほとんど変わっていない。すぐにあの頃に戻れる、という感覚がありました。
染谷さん: ドラマの時からお世話になっている街なので、ここはなじみ深い地域だと感じています。豊橋駅の近くの食堂とか、愛知大学の方まで行ってみたりとか、このエリアのことは結構詳しくなりましたよ。それと、驚いたのがフィルムコミッションの方(※)が「NOと言わないフィルムコミッション」と言っていたこと。実際に、一度もNOと言わずに全部やってのけてくださいました。試写会に来て、そんな地元の方々のパワーを思い出しました。
池田さん: この街の中心地で大勢がハチャメチャな行動をとる。それを最後まで見守っていただき、無事試写会を迎えることができました。とても幸せに思っています。
真野さん: この試写会には、撮影にご協力いただいた地元の方々がたくさん来てくださっていると聞いています。映画化されたことで、こうして大々的なイベントができて、私も完成の喜びを撮影地の人たちと一緒に味わえる。本当にうれしいです。今日改めて戻ってこれてよかったと実感しています!
もらったものは、安心感だけじゃない。この街とどうしていくか、作戦が練られた。
ー心に残っている、地域の方との交流はありますか?
園監督: 僕の場合は、助監督と一緒にロケハンをしたりする。ダイレクトに地域のいろいろな人と顔を突き合わせていました。中でも思い出深いのは、豊川の商店街を嘉郎くん(染谷)が突っ走るシーン。案外いい画がワンテイクで撮れたから、あっという間に終わっちゃったんだけど、商店街が気を利かせて翌日の朝までライトをつけて現場を提供してくれるつもりだったみたい。全力でセッティングしてくれた街の人たちが、あまりの仕上がりの早さに唖然としている姿を見て、期待していてくださったんだと感じ、なんだか嬉しくなりました。ほっこり温かい現場でしたね。やっぱり、監督として、豊橋、豊川を世界にアピールしたいと思っていたから、街の人たちの温かさを安心と捉えるんじゃなくて、この街とどうやって映画をつくっていくか、常に作戦を立ててやってやる!という意識が常にありました。
染谷さん: こちらとしては、撮影って「お邪魔する立場」なので、嫌な目で見られると狭苦しい気持ちになります。でも、ここの住民の皆さんはちゃんと見守ってくれた。そういう目があったから、現場で思う存分挑戦できたし、撮影に集中できたので感謝しています。
池田さん: 見守られている、という感覚は私にもありました。交番の方と仲良くなって、撮影がある度、その空き時間に雑談してたんです。「今日も面白そうなことやってるね」「水着の人がいっぱいいたけど、あれはどうなるの?」なんて、地元の方々と気軽にお話ができました。あまり長時間お話ししていると仕事の邪魔になって申し訳ないなと思っていたら「豊橋は平和だから大丈夫だよ」っておっしゃったんです。平和な街なんだな、と思いながら、だから私たちはこうして撮影に打ち込めるんだ、って思いました。
真野さん: 豊橋駅の近くにある子ども未来館「ココニコ」で撮影させていただいたんですが、最終日に朝から撮影していたら、1歳くらいの幼い子連れのご夫婦が前を通られたんです。かわいいな、と思って見ていたら、手紙を渡されました。手紙にはその子が描いてくれた私の似顔絵があって、本当に和やかな気分になりました。手紙なんて、撮影の時にもらったのは初めてだったから。でも、その子が成長してこの作品を見たらどんな気持ちになるか、想像すると楽しみですね(笑)。
どの地域にも、そこにしかないものがある。だからこそ広がるアイデアがある。
ー最後になりますが、園監督は地元でのロケということで、特別なリアリティーをもって撮影に向き合えたということはありますか?
園監督: この映画は、自分の高校時代と重なる部分が多い。そこに流れる風、空気そのものがリアルでした。それと、東京で構想を練っても、いざこの地域に来てロケハンをすると、発想はどんどん膨らむ。元々、豊川の「牛川の渡船」を使う計画はなかったのですが、実際に行ってみると、こんなに面白い場所があるのに使わない手はないと思って、急遽台本に書き加えることになりました。女子高生と船頭さんって、なんかおかしいでしょ。どうしてもこの場所を使いたい!となるのが、地方ロケならではなのかもしれません。当初の設定を変えて仕上げて行ったら、いい感じに完成しました。地域に求めることなんて、全面的に協力してくれたから特にないですね。地域と何ができるか、あくまで作戦だと思います。